Interview

【クロストーク in Rio de Janeiro】Kelly(モデル)×工藤めぐみ(サンバダンサー)それぞれのReal Life

前編:異国で生きる、ということ。

この8月、オリンピックで熱狂するブラジル・リオデジャネイロを訪れたモデル・Kelly。彼女が現地で出会ったのが、カーニバルのパシスタとして活躍し、オリンピックの開会式・閉会式で素晴らしいパフォーマンスを披露したサンバダンサー・工藤めぐみ。ブラジルから日本へ、日本からブラジルへ。二つの国を行き来しながら活躍する二人のThe Athletic Womanが語り合う、それぞれのReal Life。



■リオに着いた日の夜、爆竹の音がやけにうるさいと思ったら…。

Kelly:工藤さんはなぜ、サンバを始めたのですか?

工藤:私は神戸生まれで、子供のころに阪神大震災に遭っているんです。ひどい被害で家族が落ち込んでいる時、母が元気になりたくて何かを始めようと探していたら「サンバをやりませんか?」という広告を偶然見つけて、家族で始めました。その翌年、復興のためにリオから300人の人達が来て、踊ってくれたのを見て、さらに感動し、のめり込んでいきました。

Kelly:サンバを始めてどれぐらいになるのですか?

工藤:9歳から始めて、22年になります。少数のトップダンサーだけがなれる「パシスタ」と呼ばれるソロダンサーとしてカーニバルに出ることが、私の子供のころからの夢でした。10年ほど日本でレッスンを積み、19歳の時、大学1回生の後期を休学してリオデジャネイロに半年間滞在。パシスタを目指してサンバチームの練習に参加した結果、パシスタとしてカーニバルに参加できた。それが原点ですね。その後、大学を卒業する年にもう一度こちらに来て以来、普段は日本でサンバを教えながら、カーニバル前に約4カ月こちらに滞在し、パシスタを目指しチャレンジする。ここ10年ほど、そんな生活を送っています。

Kelly:リオに最初来た時、ポルトガル語は…。

工藤:まったく話せませんでした(笑)。最初に来たのが2004年。当時はインターネットも今ほど発達していなくて、スマホもなかった。滞在中は「ファベーラ(=貧民街)」に住んでいるのですが、あのころはファベーラが何なのかわからず、自分が貧民街にいることも含めて、何も知らなかった。もちろん治安は悪く、日本からリオに着いた夜、やけに爆竹の音がうるさいと思いながら寝ていたら、実はそれがマフィアの銃撃戦だったという…。

Kelly:怖い! もともと危険なエリアだとは知らなかったのですか!?

工藤:まったく知らなかったんです。今考えたら、あり得ないですよね(笑)。

Kelly:よく今、生きていますね(笑)。同じブラジルでも、リオは私が住んでいたサンパウロと比べて、治安がよくない。

工藤:そうですね。サンパウロはファベーラが離れた所にあるので、安全な地域は安全。でもリオは、ファベーラが街中に点在している。だから、サンパウロの人すら「リオは危ないから行くのをやめておけ」と言うそうですね。でも私は10代から、ファベーラに住むことが普通になっているので…。今考えると当時は無茶をしたと思うのですが、何も知らなかったからこそ住めたのでしょうね。

Kelly:今もファベーラに住んでいるのですか? 危ないとわかってから、安全な場所に住もうとは…。

工藤:今は、所属しているサウゲイロというサンバチームのあるファベーラの入り口のあたりに、家を借りて住んでいます。もちろん、もっと安全な場所に住みたい気持ちはありますが、まずお金がない。そして、サンバチームがあるのはどうしてもファベーラのある地域になる。チームをファベーラの人達がやっていることが多いので、その地域に住んでいないと、遠すぎて練習に通うことができないんです。

Kelly:でも、危険な目に遭ったことは…。

工藤:通りで人が亡くなっているのを何度か見たことがありますし、ライフル銃を突きつけられたり、強盗に襲われたこともあります。私が最初に行ったころは今よりずっと治安が悪くて、マフィアもたくさんいましたし。でも今はだいぶよくなりましたし、住んでいる地域の人達も「メグミは僕達のファミリーだから」と言って、守ってくれます。

Kelly:ブラジル人はファミリーという意識がすごく強いから。

工藤:そうですね。私のように異国から来た人間でも、一度受け入れてもらえると、すごく強いつながりが生まれます。

■コミュニケーションの基本は、ジェスチャーと関西弁(笑)。

Kelly:今、言葉は自由に話せますか?

工藤:まだまだダメですね。学校などでポルトガル語をきちんと勉強した経験がないので、何かあるとその都度、辞書を引いて、ここまでやってきました。

Kelly:それ、一緒です(笑)。私は15歳で日本に来て、16歳でモデルの仕事を始めましたが、日本で学校に通ったことはないです。日本の人達の言葉をたくさん聞いて、どうにか話せるようになった。

工藤:ファベーラの人達は独特の言葉を話すんですよ。スラングがたくさんあって、普通のポルトガル語と少し違う。私の場合それもあって、コミュニケーションの基本はジェスチャーと関西弁(笑)。日本語で「うそぉ~!」「なんで~!」と叫びながら、毎日頑張っています(笑)。そんな生活の中で一つだけ救われたのが、ダンスは世界共通ということ。目で見て、聞いて、もう一度見ながら「こうやって動くんやな」と判断していくことができる。もちろん、言葉では今も困っていることはめっちゃありますし、言葉がわからなくて泣いたこともありますが…。最初は、言葉が伝わらないことが一番つらいですよね。ケリーさんの場合、日本ではどうでしたか?

Kelly:ホントもう、徐々に徐々に。最初は本当につらくて。いつも「帰りたい」とお母さんに泣きついてばかり。私はもともと人見知りで、しかも日本に来た15歳のころは、難しい年齢でもありますよね。言葉がなかなか話せないから、オープンになれなかった。ブラジル人は言葉で気持ちを表現するけれど、日本人はそうじゃないから「この人は本当に心からそう言っているのかな?」と疑うことも多くて、なかなか友達も増えない。苦労しましたね。

工藤:日本には「言わなくてもわかるでしょ?」みたいな文化がありますよね。あれっていったい何なんだろうと思います。何も言われないからわからないままでいると「なぜわからないの!?」と責められる。あの「空気を読め」みたいなカルチャーは、どうかと思います。

Kelly:日本人にも、空気を読めない人はたくさんいるから(笑)。でも確かに、そういうことはある。お互いの気持ちを言葉でしっかり伝える方が、人間関係も上手くいくのに…もったいない。

工藤:言いたいことは直接言えばいいのに、と思います。でも日本は小さな島国だから、仕方ないのかもしれませんね。

Kelly:こういう考え方を変えていきたいですね。日本は外国人が少ないから、言わなくてもわかる、という感覚が世界的には通用しないことに、なかなか気づけない。今の日本人には、広い世界を見て経験を広げようという気持ちや、必死でコミュニケーションを取ろうとする努力が足りない。

工藤:その通りですね。私の場合は「行っちゃえ」みたいなやり方でしたが(笑)、ケリーさんはどうやって、日本でやっていける自信をつかんだのですか。

Kelly:言葉を話せなくて、ずっと悔しい思いをしてきました。その悔しさを乗り越えるには、勉強するしかない。音楽を聞いて、テレビ番組を見て、読み書きも一人で勉強。よく聞く言葉をとメモをして覚えて、友達を作って、コミュニケーションを取って、というように、本当に少しずつ日本語を覚えていきました。そして、だんだん日本を好きになっていった。特にうれしかったのが、ずっとやりたかったモデルの仕事で食べていけるようになったこと。日本に来て、モデルになりたくて家族と離れ、東京に出て事務所を探して…。当時はお金もなかったし、仕事が増えていった時は本当にうれしかった。

工藤:その気持ち、超わかる(笑)!

Kelly:でも、モデルを始めたばかりの10代のころはまだ、この仕事をよくわかっていなかった。当時は太っていたし、撮影現場に行くとおにぎりとかパンが出るので、それをたくさん食べちゃったり。あとは、カメラの前でポーズをする時に、恥ずかしくてカメラを見れなかったことも。しっかり表情を作って次々とポーズを変えていくことができなくて、他のモデルさんの動きを見たり、自分でも練習しながら、少しずつ実績を作っていきました。工藤さんはたった一人で初めてリオに来て、危険な地域に住んで、本当にすごい。諦めて日本に帰ろうと思ったことはなかったの?

工藤:もちろん、何度もありますよ。でも、もう「絶対に帰らない!」って、意地になっていた気がします。「日本にいる家族やサンバチームのメンバーがすごく応援してくれるから、途中で帰ったら悲しむ。意地でも成功したい!」と思って、最後まで残りました。

Kelly:日本に住んでいる方が、何倍も快適なのに…。

工藤:自分で言うのも変だけれど、おかしいですよね(笑)。あのころは無知だったからこそ、できたのかも。あの時の生活は怖くてつらいことが99%だけど、サンバという1%の喜びがあったから頑張れた。そんな気がします。でも、最初の滞在が終わった時は正直、リオが嫌いになりました。

Kelly:それも仕方ないことですね。

工藤:日本に帰ってから、今度は休学した分の勉強の遅れを取り戻すために頑張りました。そして大学を卒業する時に「私、就活せずブラジル行きます」と言って、22歳でまたリオに戻ってきました。

Kelly:一度嫌いになった場所に戻ってくるなんて、すごい!

工藤:危ない目にも遭ったし、みんな言うことがバラバラ。だからリオが嫌いになりました。すると、心のバランスが取れなくなった。サンバという一番好きなものと、リオの街という嫌いなもの。その二つが混在していると、気持ちのバランスが取れないわけです。とにかく、そんな状態を変えたかった。そのためには、リオをもっと好きになればいいと思いました。そもそもリオを嫌いになったのは、自分にもいろいろなことが足りないから。もっと語学力をつけるべきだし、私がもう少し考え方を変えればいい。まだ10代で未熟だったから許せなかったことも、22歳の今なら許せるかもしれない。そう思い、二度目の滞在ではもっと積極的にコミュニケーションを取りました。その結果「私の居場所はここにもある」と思えるようになった。

Kelly:そこまで思わせてくれるサンバの魅力って、どんなことですか。

工藤:まず、人を元気にさせられること。「めぐちゃんを見ると楽しくなる」「落ち込んでいたけど、切り替えられる」などと言ってもらえると、すごくうれしい。そしてもう一つが、人との強いつながりですね。サンバって一人でやるものじゃなく、みんなで作り上げるもの。サウゲイロのメンバーは私がリオに行くたびに「おかえり。メグミは私達の家族だよ」と言ってくれる。「地球の裏から毎年来て頑張っている姿を見るのがうれしい」と言ってくれるメンバーがたくさんいる。だからみんなの期待に応えたい。そんな気持ちで今も、行ったり来たりしています。

■家族がいなかったら、ここまでやれていない。

Kelly:見知らぬ国で一人でやっていく。そんな時に大切なのは、離れて暮らしている家族の存在だと思います。

工藤:本当に大事ですね。サポートしてくれる家族がいなかったら、私は絶対にここまでやれていません。

Kelly:19歳の娘が一人でブラジルに渡るなんて、普通の親ならやめておけと言うはず。ファベーラに住んでいることを当時、ご両親には…。

工藤:知らせなかったです。電話などで聞かれても、決して泣かずに「すごくいい所だよ、人も優しくて」って嘘をついていました。でもある時、あまりにもつらすぎて限界に来て、泣いて母に電話したことがあります。語学力がなかったのでインターネットの接続の仕方もわからない。スカイプも使えなかったので、国際電話しかない。泣きながら母に電話をして、電話代が10万円かかったこともありました。母はそれでも「話を聞くから」と言ってくれて…。母は「頑張り!」と言って話を聞いてくれましたが、実はすごく心配していて、ストレスで胃潰瘍ができたそうです。それでも病気になったことを言わず、ひたすら支えてくれました。

Kelly:優しいお母さんですね。私もそうやって電話したことがあります。モデルは決して安定した職業ではないし、いい時も悪い時もある。そして悪い時は、気持ちが落ち込む。2年前も、仕事を辞めてブラジルでシンプルに暮らしたい、と思って電話したら「つらかったら、いつでも帰ってきていいよ。こっちでも生活はできるのだから」って…すごくありがたかった。おかげで、もう一度頑張ろうと気持ちを立て直せたから。

工藤:私の母は高校時代、ソフトボールのピッチャーでエースだったそうなんです。それで体育大学に推薦入学が決まったのに、おじいちゃんが「女の子はそんなのせんでええ。2年短大に行って、結婚せえ!」と言い、ソフトボールを辞めさせられてしまった。そんな悲しい経験があるから、私にはやりたいことをさせてくれました。あれは、初めてリオに行く直前のこと。私が「やっぱり不安になってきた…どうしよう」と言ったら、急に「何言うてるの! お母さんは夢があったのにソフトボールを辞めさせられて、やりたいことができなかった。今も仕事や家庭があるから、好きなことはなかなかできへん。めぐはまだ10代で何にでもなれるし、今頑張ったら未来が開ける。サポートはなんぼでもしたるから、ウジウジせんと行っといで!」と、すごい勢いで叱られました(笑)。母は実際は心配していたそうなのですが、そういう気持ちをまったく見せないでくれた。本当に感謝しています。

(続く)

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