ステージは、すべてを背負って立つところ

ステージは、すべてを背負って立つところ

すらりと伸びた長い手足に、整った顔立ち。
お人形のごとく、女性の理想を具現化したようなスタイルを持つ吉川ひなのさん。デビューしてすぐに人気となり、その明るい雰囲気から、モデルとしてだけでなくタレントとしても引っ張りだこに。
一児の母となった今も引き締まったプロポーションを保ち、女性の憧れの存在であり続けている。ますますの充実を感じさせる、その美しさや輝きは一体どこから生み出されるのだろう。また、そんな自分をご自身ではどのように考えているのだろう。吉川ひなのさんの素顔を探ってみた。

「私だって、変わりたいと思っているんです。自分に自信なんて全然ない!!」
意外な言葉だった。
モデルって、高嶺の花・・・。そう思っている人はきっと多いと思う。モデルは、雑誌やファッションショーで、"自分の身体を使って見せる"プロであるだけに、誰もがまさに完璧と言いたい容姿。生まれ持った部分も多いのだろうけど、そのプロポーションを保って、さらに豊かな表現力を身に着けるためには、彼女たちが壮絶な努力を積んでいることは簡単に想像できる。そんなモデルの一人として、吉川ひなのさんは日本の第一線で活躍を続けている。だから、自信満々、少々高飛車なくらいがちょうどいい、なんて思っていた。

「みんなが、かわいくなりたい、もっときれいになりたい。あの人みたいになりたい・・・。そんな風に思うのと一緒で、私も常に変わりたいって思っているんです。私や、私の職業に憧れてくれるのはとても嬉しいし、すごく光栄です。でも、私自身はまだまだそんな立派な人間じゃないと思ってます。」

街でスカウトされ、13歳でモデルデビュー。当時は、モデルと言われても画家の前でポーズをとる姿しか思い浮かばず、ファッションモデルという職業の存在すら知らなかったそう。なのに、初期の頃から大御所と言われるようなカメラマンやメイクアップアーティストとの仕事にも恵まれ、さらには直々に指導も受けたという。事務所の多大なバックアップはもちろんのこと、きっとひなのさん自身にも大物の片鱗があったんだろうなと、すぐさま納得する。

「写真集を見せられて、ファッションモデルっていうのはこういうことなんだよって教えられました。『へぇ~、じゃぁ、こんな感じ?』ってポーズをとってみたり・・・。右も左もわからない中、見よう見まねでしたね。」

他にも、「ロケで海にいくと、撮影の合間にカニをとってきて、これを持って帰りたいと言ったり(笑)。」など、子供らしい思い出も楽しそうに語ってくれた。しかし、モデル業は一つの仕事である。そこに関しては年齢関係なく、プロとして厳しく育てられたそう。 「事務所の社長や部長はとても厳しい人で、相当鍛えられました。私がどんなに泣き叫んでも手を差し伸べてくれたりはしないんです。死ぬまで泣いてれば?って(笑)。何か言っても、わかったわかった、とりあえず仕事してから言ってもらっていい?という感じでしたよ。」

雑誌やテレビで見かける、天真爛漫な雰囲気からは計り知ることもできなかった一面。"吉川ひなの"から連想するイメージは常に明るく、自由で、美しい。それゆえ、蝶よ花よとかわいがって育てられたのでは、などと勝手に思い込みたくもあった。でもそれこそが、表現者としての"吉川ひなの"の術中にすっかりはまっていた、ということのよう。
こうして、表舞台からは決して見えることのない努力に裏付けられ、若くして活躍する一方で若いがゆえの葛藤も経験する。
「十代の頃は、本当は学校に行ってお勉強したり、友達と遊んだり、好きな人ができちゃったり・・・。そっちの方が本業でしょう?それでもちゃんとこうやって仕事してるんだよ、偉いでしょ? みたいな気持ちが心のどこかにありましたね。」

相手に褒められたいと思う気持ちは、大きなモチベーションになる。

昔のことは、少し恥ずかしそうにしながらも、思い出す風ではなく今起こっていることのようにすらすらと言葉が出てくる。きっと何度も自分で当時を振り返っているんだろうな、と素直に感じ取れた。「ちゃんとやれば褒められる。だから当時は周りの大人の言うとおりにやってました。」

そう語る十代。順調にキャリアを積み上げながらも、遊びたい盛りの時間を大人にまじって仕事をして過ごしてきた。違う言い方をすれば、限られた世界での生活、敷かれているレール。華やかな世界ではあるけれども、人気があればなおさら自由が減って、時間も行動も拘束される。競争も激しい。そんな厳しい世界を生き抜き、経験を積み、年齢も少し大人になって、自分で考えられるようになってきたひなのさんの中に、ある疑問がよぎる。

「二十代の最初の頃、私はちゃんと仕事できているのかな、大丈夫かなっていう気持ちが芽生えてきたんです。そう考えるうちに、仕事は最小限のことを最大限やろうと思うようになりました。今では、逃げ腰だったと言えますね。」 迷いは誰にでも生じるもの。それに対しての向き合い方は人それぞれ。迷
う程度なら、それを自分でわかっていつつも見て見ぬふりだってできる。なんとなくそのまま過ごしても大きな問題は起こらない。でも、ひなのさんの場合そんな選択はしなかった。中途半端なことをするくらいなら、と仕事の量をセーブし、自分の時間を多く持つようになった。そして、この時期の経験が、後のひなのさんにとって大きな宝になる。

「仕事をしていない時間がすごく増えた分、東京以外のいろんな場所に行って、いろんなものを見て、いろんな人と関わって、いろんなことを知って、吉川ひなのを知らない人にも会って...。あ、こういうのも心地いいな、最高だなって感じて、とても新鮮でした。」

この頃に出会ったある人が、ひなのさんに「夢は何?目標は何?どうなりたいの?どういう人生設計を立てているの?」と何度も聞いてきた。ひなのさんにとって、仕事以外の世界を知りはじめ、見るもの聞くものが新しく、吸収している時期。さらに、頭のどこかで自覚している、仕事にも逃げ腰で自信が持てない自分。最初は「そんなこと聞かれても困る」と戸惑っていただけだったそう。でも何度も聞かれるうちに、いつしか自分を見つめることができるようになっていた。

「自分が逃げてたのかなと思えるようになってからは、もう1回がんばれるかな、と前向きに考えるようになりました。」
「逃げていた自分」を自覚することは、周りに何を言われても難しい。自分自身で心底思うか、あるいは気づくことができなければ、「逃げていた自分」なんて認めたくないもの。ひなのさん自身も、すぐに自分を見つめることができたわけではなかった。時間をかけて、いろいろな経験を積み、人とのコミュニケーションが豊かになっていく中で、ようやく一筋の光が指したような変化だったと思う。

ただひなのさんらしいのは、その一筋の光を急激に膨らませ、一気に発進していくスピード感。
「絶対この人に褒められたい、と思わせてくれる方がいて。じゃぁ、私が一番褒められることってなんだろう、得意なことってなんだろう、と考えていくと、明確に今の仕事だと思いました。」

(続き)ステージに立つということは、そのすべてを背負うということ。

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